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1. 하나님께 순종 2. 여호와의 영광이 성막위에 3. 예수 그리스도

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출애굽기 40:16–38 NKRV
모세가 그같이 행하되 곧 여호와께서 자기에게 명령하신 대로 다 행하였더라 둘째 해 첫째 달 곧 그 달 초하루에 성막을 세우니라 모세가 성막을 세우되 그 받침들을 놓고 그 널판들을 세우고 그 띠를 띠우고 그 기둥들을 세우고 또 성막 위에 막을 펴고 그 위에 덮개를 덮으니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그는 또 증거판을 궤 속에 넣고 채를 궤에 꿰고 속죄소를 궤 위에 두고 또 그 궤를 성막에 들여놓고 가리개 휘장을 늘어뜨려 그 증거궤를 가리니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그는 또 회막 안 곧 성막 북쪽으로 휘장 밖에 상을 놓고 또 여호와 앞 그 상 위에 떡을 진설하니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그는 또 회막 안 곧 성막 남쪽에 등잔대를 놓아 상과 마주하게 하고 또 여호와 앞에 등잔대에 불을 켜니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그가 또 금 향단을 회막 안 휘장 앞에 두고 그 위에 향기로운 향을 사르니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그는 또 성막 문에 휘장을 달고 또 회막의 성막 문 앞에 번제단을 두고 번제와 소제를 그 위에 드리니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그는 또 물두멍을 회막과 제단 사이에 두고 거기 씻을 물을 담으니라 모세와 아론과 그 아들들이 거기서 수족을 씻되 그들이 회막에 들어갈 때와 제단에 가까이 갈 때에 씻었으니 여호와께서 모세에게 명령하신 대로 되니라 그는 또 성막과 제단 주위 뜰에 포장을 치고 뜰 문에 휘장을 다니라 모세가 이같이 역사를 마치니 구름이 회막에 덮이고 여호와의 영광이 성막에 충만하매 모세가 회막에 들어갈 수 없었으니 이는 구름이 회막 위에 덮이고 여호와의 영광이 성막에 충만함이었으며 구름이 성막 위에서 떠오를 때에는 이스라엘 자손이 그 모든 행진하는 길에 앞으로 나아갔고 구름이 떠오르지 않을 때에는 떠오르는 날까지 나아가지 아니하였으며 낮에는 여호와의 구름이 성막 위에 있고 밤에는 불이 그 구름 가운데에 있음을 이스라엘의 온 족속이 그 모든 행진하는 길에서 그들의 눈으로 보았더라
히브리서 3:5–6 NKRV
또한 모세는 장래에 말할 것을 증언하기 위하여 하나님의 온 집에서 종으로서 신실하였고 그리스도는 하나님의 집을 맡은 아들로서 그와 같이 하셨으니 우리가 소망의 확신과 자랑을 끝까지 굳게 잡고 있으면 우리는 그의 집이라
고린도전서 3:11 NKRV
이 닦아 둔 것 외에 능히 다른 터를 닦아 둘 자가 없으니 이 터는 곧 예수 그리스도라
出エジプトのこの章は、全体の結論です。主の律法の指針とともに、主の臨在の中で礼拝する幕屋建設についての結論でもあります。
1. 繰り返し
意図的に1~11節は、25-31章の幕屋設計の指針について、16―33節は、35~39章の幕屋の制作過程についての記事と似ていて、モーセが主の指針に従ったことを記しています。
出エジプトで幕屋建設の話が「繰り返し」している理由は、私たちが神様を畏れるべきであることを知らせることだと思います。
“血を流すことなしには、罪の赦しはありえない”けれど、幕屋を通して聖なる神様のあわれみを見せてくださるお方なのです。
そして、神様の命令にすべての詳細なところまで従っていた人々の献身も注目する点です。
確かに、モーセは。神様の命令に“こう~やりました”という報告だけでもできたはずです。
しかし、繰り返して、神様の命令に従って正確に作っていたことを並べ言いました。
これは、神様の指示どおりにすべてをすることがどれほど大事であるかを見せてくれただけではなく、彼らが実際行っていたのです。
あることは完成して、あることは未完成であるということではなく、幕屋制作において、特にかれらの“従順”に従った行動が見えます。
神様は、イスラエルがシナイ山に至るとモーセを呼び、イスラエルの救い主、そして導かれる主であることを明確にし、イスラエルが神と結ぶ契約を守るように命じました。
モーセが長い間、シナイ山から降りてこないのをみて、イスラエルの民は金の子牛の偶像をつくる罪を犯します。そのようなイスラエルの姿に、神は怒られたという事件がありました。
モーセはイスラエルの民を正当化せず、神のあわれみだけを求めます。神様は民を絶ち滅ぼすと語られた時、とても悲しみうろたえながらも、民を栄えさせ、約束の地を与えると言われた神様の約束を覚えてくださるよう、切に祈りました。
そして、イスラエルの民は、金の子牛の事件から立ち直り、神様の命令されたように、従っていたのです。
彼らの悔い改めにふさわしい実を一つ一つ結んでいることではないでしょうか。
彼らは、金の子牛の崇拝ではなく、神様が命じられたとおり、神様を賛美し礼拝したいということをみせているのです。
ところで、モーセは幕屋を建設しました。17節から33節を見ると、“モーセは~をおいて、たてた、渡した、くみたてた、広げた、などなど、これをした、そしてその仕事を終えた”とかいてあります。“
そのすべてを見た時に、繰り返された言葉があります。それは、「主が命じたとおりに」という言葉が7回も書いてあります。
モーセは主がめいじられたとおりに幕屋を忠実に建設したのです。
しかしモーセは、しもべとして、神の家で忠実であり、モーセよりもすぐれた御子であるイエス様は、神様の家を任された、ゆだねられた方として忠実でした。
つまり、モーセは後に語られることをあかしするために、僕として神の家全体のために忠実でしたが、キリストは、御子として神の家を忠実に治められるのです。
私たちを罪から救ってくださった救い主なるイエス様は、万物の創造主であります。十字架につけられて死なれて、よみがえられて、罪に打ち勝たれたイエス様は、その救いを受けて者たちを新しく作り変えてくださいました。イエス様を信じる者は、罪が贖われて義とされ、神の子、神の家族とされたのです。
それは、私たちの苦労や献身によってではなく、神の一方的な恵みによって与えられた信仰によってそうされたのです。
さて、34節から38節をみると、神のみことばに従って建てられた幕屋の上に、神の臨在の象徴である聖なる栄光の雲が降りてきました。
その幕屋が神の御心にふさわしく造られたことの現れであります。
そして、神がその幕屋の中でご自分の民に出会ってくださると、一時的な滞在ではなく、完全にその場にともに住まわれることを示されました。
これからイスラエルの民は、神とともに、冒険の道を進みます。神様はイスラエルの民とともに進まれながら、彼らの行く道を照らし、彼らのこれからの日々を責任をもって導かれます。
主イエスは、「わたしは世のおわりまで、いつもあなたがたとともにいる」と言われました。
いつもともにいてくださる主を見ること、それがわたしたちにゆだねられていることです。
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