神様に仕える人
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レビ記
レビ記
旧約聖書レビ記が礼拝で朗読され、説教されることは多くはないと思います。かつて出席していた教会でレビ記が朗読されたことがありましたが、ただ読まれるだけでありました。
しかし、今日、私どもに与えられております説教テキストはレビ記なのです。ただ、一書説教、聖書66巻を余さずということだけではありません。今日はレビ記から私どもの信仰の言葉を聞きたいのであります。
レビ記を通しで読まれた方はありますでしょうか?聖書全部の朗読を試みられた方はあるでしょう。
話はそれますが、私どもに親しく、また直接支えてくださっております横浜指路教会が創立180周年を迎え、前回の記念の年と同じく、聖書全66巻を交替で礼拝堂で読み通す記念の行事を行なっています。少しあこがれます。私どもも、ただ読み通すだけではなく、今日は、レビ記の言葉を読み味わいたいと願っています。
律法
律法
レビ記に一歩踏み込めば、そこに何が記されているかは明らかであります。
今日は、参照します箇所を、そのままお聞きください。
レビ記の最初、第1章1節であります。
LEV01:01 主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。
LEV01:02 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。
最初からこのように続きまして、神様が、イスラエルの民の中に建てられた幕屋、臨在の幕屋の中から、モーセに声をおかけになり、その律法の言葉をひとつひとつお告げになる。そのような書物なのです。
前回、出エジプト記を読みましたが、臨在の幕屋については触れませんでした。文字通り幕屋、天幕、テンとなのであります。そこに神様がおられ、モーセにお告げになられる。その設営の仕方が出エジプト記にはていねいにていねいに記されております。いつかその絵をお見せしたいとも思います。
そしてこの臨在の幕屋がソロモン王の時代にエルサレムの神殿となるわけであります。
さまざまな律法
さまざまな律法
ご存じのようにレビ記に記されますのは、神様がモーセを通してお告げになる神様の律法です。
そして特にそこには礼拝について、そして倫理的なことがらについて記されています。
祭司たち
祭司たち