絶えない平和へ

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2024年12月22日
杉並中通教会 アドベント第4主日・クリスマス礼拝
イザヤ書9章1~6節
「絶えない平和へ」山下ジョセフ
 
私が普段使っているカバンには缶バッヂがついています。その缶バッヂにはこのような言葉が書かれています「NO JUSTICE NO PEACE」日本語に訳すと「正義なくして、平和なし」という意味です。このは言葉はそもそも、アメリカ合衆国における有色人種に対する白人権力による暴力への抗議運動でよく使われるスローガンであり、この言葉は「平和とは何なのか」と私たちに問うている言葉です。私たちが「平和」を想像するとまず初めに出る言葉は「戦争」ではないでしょうか。そして、戦争のない状態を平和と呼びます。これは間違いではないのですが、100点満点の答えでもありません。平和には「満たされる」という意味が入っています。満たされていない人がいる状態は平和ではないっていることです。例えば社会の中で差別されている人がいたり、搾取や貧困で苦しんでいる人がいたり、追いやられている人がいたら戦争がなくても平和ではありません。なぜなら正義が正しく機能していないからなのです。それでは正義とはいったい何なのでしょうか。イザヤ書9章6節「ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」イエスはダビデ王の血筋だと言われています。この箇所だけを読むとイエスは人を支配する王になると誤解をしてしまいますが、実際にはイエスは私たちのインマヌエルすなわち私たち共にいる神なのです。イエスは上から人を押し付けるものではありません、王国(kingdom)と呼ぶよりも共にいる国(kin-dom)と呼んでよいとおみます。そして、イエスが共にいる国の到来によって平和は絶えることがないと書かれています。なぜなら、その国は正義と恵みの業によって今もそして永遠に立てられ支えられる場所だからなのです。正義と恵みと書かれていますが、実はこの「恵み」と訳されている言葉は「公正・公平」と訳すことができます。聖書協会共同訳ではそのように訳しています。イザヤ書9章6節(聖書協会共同訳)「その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。」公正・公平すなわち、神の裁きを受ける人の人種も性別も思想も年齢も富も地位も関係なく、その人の行動から正しく裁きを行うのです。残念ながらいつの世も、それこそ今の日本でも社会的地位や人種やセクシャリティを理由に公権力から差別され抑圧されている人たちがいます。しかし、イエスは正義をもって人の罪によっておこる支配から解放をもたらす方なのです。しかし、その解放とは武力や暴力によってではないのです。
 
私たちの主であり私たちの神であるイエス・キリストはローマ帝国という大国によって支配・抑圧を受けていたパレスチナ地域で、貧困に苦しんでいる(一説によると奴隷でもあった)家族で生まれました。また世間からは母マリアの婚前交渉という不貞によって生まれたと思われていました。イエスのその出生はイエスの生き方にも影響があり、汚れた人、罪人、混血、よそ者など、社会的・宗教的・文化的に差別され追いやられていた人たちと触れあい、食事を共にし、人と人の間にある分断を飛び越えていったのです。なぜなら私たちの神は人を分け隔てなく愛しており、一人も例外がないことを示すためにです。しかし、世界は人が人を支配・差別・抑圧・疎外などの罪による秩序によって成り立っています。イエスのラディカルな愛は弱い立場の人々を暴力によって支配していた宗教指導者や権力者にとっては秩序を乱す悪人とみなされていたのです。なぜなら、人の暴力による秩序には差別をする対象が必要であり、私たちとあいつらという敵を作る必要があるからです。しかし、イエスは人と人の分断による秩序を破壊するものとして逮捕され、十字架にかけられ呪われた人として殺されたのです。しかし、十字架による孤独でみじめな死を通して人の罪をすべて受け止め救いへ導いたのです、すべての人に対しての海より深い愛を示すため、すべての人が罪から救われたことを示すために三日目に復活したのです。私たちクリスチャンは、そのイエスの死と復活によるすべての人への救いに気づき従うことを自ら選んだ人たちです。そしてイエスのように生きることを目指し、成長し、福音、言い換えるとよき知らせを人々に伝えるように努力している人々なのです。
 
 それでは、その福音とは何なのでしょうか。今年のアドベント主日礼拝で学んだことをおさらいしたいと思います。アドベント第1主日でははイザヤ書2章4節「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」福音とは人を殺すために作られた武器・死の道具を破壊し、農具つまり人の食料をつくるための生の道具をつくること、戦争を無くし人々が共に平和を実現することであると学びました。
アドベント第2主日ではイザヤ書7章14節の後半「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」インマヌエルとは「神は私たちと共におられる」という意味の言葉です。福音とは神が私たちを愛し、私たちすべての人と共におられる方である、絶望的な世界の中で生きている私たちの希望であると学びました。
 
アドベント第3主日ではイザヤ書11章6~7節「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。」神と共にいるときすなわちインマヌエルでは、他の人を支配し搾取や抑圧によって人を傷つけている加害者はその加害による罪を悔い改めて、そして被害者は癒され引き上げられることによって支配の構造がなくなり、人と人の間に真の和解が可能になることを学びました。
 
そして本日の第4アドベント主日ではイザヤ書9章6節「その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。」(聖書協会共同訳)。私たちの主イエスの支配は私たちの上からではなく、私たちと共におられます、そして公正と正義によって、終わることのない絶えない平和をもたらすものなのです。平和・希望・和解・正義これすべてイエスのよき知らせ・福音なのです。
 
しかし、私たち人間の罪によって壊れてしまった世界、人が人を支配し、強いものが弱いものを差別し搾取し苦しめている罪の世界に生きていると、このような実感はわきません。そこで思い出さなきゃいけないのはイエス・キリストは王族や軍人など英雄として生まれていないということなのです。私たちの神イエスは上から人を支配しようとする方ではなく社会の人々と共に生き言葉と行動によって人を変えようとしていた方なのです。そしてイエスは私たちに同じことをするように求めているのです。マタイによる福音書28章18~20節「イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」」イエス・キリストが私たちの神であり救い主であることに気づき、イエスに従うことを選んだ私たちクリスチャンにはイエスに似たものとなるように成長することそして福音を人々に伝え、正義と公正によって平和が絶えない神の国の実現を目指すものなのです。
 
イエス・キリストが生まれたのは神の福音の実現のためです。福音とは平和・希望・和解・正義です。公平に正義が執行されて人と人の間で真の和解ができ、すべての人が満たされた平和な世界の中で希望を持つことのできるインマヌエル「神は私たちと共にいる」世界を実現するために生まれました。福音の実現のための働きは今も続いています。私たち一人ひとりが成長しイエス・キリストと似たものとなり、福音を実現できますように。
 
 今年のアドベントで学んだ平和・希望・正義・和解に関して考えつつ改めて本日の箇所を読みたいと思います。イザヤ書9章1~6節「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
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