成功のための公式 #2
I. はじめ ①②③
2年半前にティム•アディントンという人が米国福音自由教会海外宣教団の新しいリーダーになりました。人事(じんじ)が変わることは決してたやすいことではありません。たとえ、今までのやり方がうまくいっていないとしても、私たちは今までのやり方のほうを好(この)み、そのやり方に固執(こしつ)する傾向(けいこう)があります。多くの人たちが前のリーダーであったベン•サワツキーが好きでした。彼には強い指導力(しどうりょく)がありましたし、彼の指導力が宣教とそして、世界にさえも長期(ちょうき)にわたる影響力を残すほどの多大(ただい)な信頼(しんらい)がありました。ベンの16年にわたる在任中(ざいにんちゅう)、私たちの宣教に対し、すばらしいそして強い指導力を発揮(はっき)しました。
ティムも又、宣教に強い指導力を発揮(はっき)しています。ティムの得意(とくい)とするところはそれぞれのスタッフが与えられている宣教で成功(せいこう)するよう、それぞれに任(まか)せることです。ティムが引き継(つ)いで彼自身のスタイルの指導力を発揮(はっき)するにつれ、多くのチャレンジに直面(ちょくめん)しています。その1つは就任後(しゅうにんご)すぐにあったのですがいかに多くの宣教師達が彼と前任者(ぜんにんしゃ)ベンと比較(ひかく)したかということでした。彼はベンの力強さを覚えていてティムがベンと同じような力強さを持っていないということに腹立(はらだ)ちを覚えました。私たちがどのようにして福音を人々に伝えるかというティムの宣教のためのある方法のいくつかを彼らは好(この)みませんでした。彼は私たちの組織編成(そしきへんせい)に新しいスタイルを導入(どうにゅう)しています。現在(げんざい)、私たちの宣教の場で多くの変化が起りつつあります。
④さて、モーセから引き継(つ)いだ、そしてどんなに人々は気まぐれでありうるかを知っているヨシュアについて考えてみましょう。ヨシュアに引き継いでもらいたくないイスラエルの民はきっと多くいたと思います。ヨシュアがモーセの代わりをした時、彼らはただモーセが好きだったのです。けれども、神様はその状況をご存知でした。神様は人の心と指導者に必要なことをご存知です。神様はすでにヨシュアのことそして、彼の弱点(じゃくてん)にもかかわらず、民にとって最もすばらしい指導者としてヨシュアが必要なことは何であるかご存知でした。神様はその溝(みぞ)を埋(う)めることが出来るし、又そうなさるお方です。ヨシュアがイスラエルの民を約束の地に導く責任(せきにん)を負う時、神様はヨシュアにチャレンジを与えられます。ヨシュアへのこのチャレンジにおいて、神様は成功(せいこう)のための公式(こうしき)を私たちに教えて下さっています。まず、どのようにしてヨシュアがこのようになったのかを見ていきましょう。
II. ヨシュア記 序論(じょろん) 1
⑤申命記(しんめいき)34:9-12を一緒に読みましょう。神様は力強くモーセを用いられましたし、モーセを通して何度も、神様の力を示されました。モーセは民をエジプトから脱出(だっしゅつ)させ、約束の地へ導くよう、神様に用いられました。ここ申命記の終わりからヨシュア記の始めにかけて、イスラエルの民は神様によって約束された地を征服(せいふく)するために、ヨルダン川を渡ることは許(ゆる)されませんでした。⑥民数記(みんすうき)20章1-2;7-12節を読みましょう。荒野(あらの)にいたとき、モーセは神様に聞き従い、『岩に命じる』よりむしろ岩を2度打ちました。モーセの言ったことはあたかも水を出したのは彼で、神様ではないかの如(ごと)く、聞こえます。モーセの我慢(がまん)のなさそして傲慢(ごうまん)さは神様への信頼の欠如(けつじょ)を示していますし、モーセは神様のやり方が最善(さいぜん)とはいえないと考えていたことを民に示すことになりました。このことこそが神様への不従順(ふじゅうじゅん)とは何かを意味するものなのです。私達は神様のやり方より私たちのほうがよりよいと考えます。このことは別の形の不信仰です。それで、神様はモーセに民をヨルダン川へ導くよう命じますが、実際(じっさい)モーセが川を渡ったり、約束の地へ入っていくことは許されませんでした。そして、申命記34章でモーセは山に登(のぼ)り、彼自身、入ることのなかった地を見てやがて死を迎(むか)えるにあたり、このことが現実(げんじつ)であったことを私達は知ることが出来ます。しかしながらその過程(かてい)において、モーセは神様が命じられたようにヨシュアに指導権(しどうけん)を渡します。
⑦ヨシュア記1:1においてヨシュアは『モーセの従者(じゅうしゃ)』と呼ばれています。このことによりヨシュアは訓練と経験(けいけん)を通してモーセによってこの指導力を教育されていることを私達は教えられます。ヨシュアはモーセの指導力を教えられ、又、しばしば指導力を発揮(はっき)する機会(きかい)が与えられ、そのことを通して学びました。良い指導者は指導力育成(いくせい)のために常(つね)に他の人たちを訓練していますし、訓練中の指導者はある程度(ていど)大きな指導的役割を担(にな)っています。それがここでヨシュアに起っていることです。未来の指導者がどんなに整えられているとしても、モーセのような見事な指導者の後継者となることは不可能に見えます。ヨシュアがふさわしい指導者かどうか人に容易(ようい)に疑問(ぎもん)をいだかせるような弱さを持っていたことをヨシュアは自分で きっと知っていたと思います。ここでヨシュアに神様がいつも共にいらっしゃることを思い起こさせることにより神様はヨシュアにご自分の偉大な哀(あわ)れみと愛を示しておられます。神様はヨシュアに3つの約束を与えることから始められます。
III. 神様からの約束 2-5
⑧ヨシュア記1:2-5を一緒に読みましょう。まず2-4節で神様はモーセに約束された地、乳(ちち)と蜜(みつ)の流れる地をイスラエルの民に与えることを約束されます。その約束はモーセが亡くなったからといって無効(むこう)ではありません。むしろ、神様はヨシュアにご自分の約束を引き継(つ)がせました。⑨2番目に5節で神様はその地を制服(せいふく)するにあたり、誰(だれ)一人として、彼らに立ちはだかるものはいないことを約束されます。だからといって妨害(ぼうがい)がないという意味ではなく、勝利が彼らに約束されたということです。そして3番目に5節の終わりに神様はモーセと共におられたようにヨシュアと共にいること、そして、どのような状況にあっても決してヨシュアを見放(みはな)さないことを約束されました。これらの約束は神様がモーセからヨシュアが手に入れました。約束の地における勝利の約束そして、もっと重要(じゅうよう)なことは何があろうとも神様はヨシュアと共にいるという約束を!!手に入れたのです。
神様の約束はしばしば責任(せきにん)を伴(とも)ないます。神様の約束を受け継(つ)ぐために、ヨシュアとイスラエルの民は立ち上がり、約束の地へ入っていくことにより、神様を信頼(しんらい)しなければなりません。神様の約束はイスラエルの民が川を渡らないことを選択すれば、成就(じょうじゅ)されません。ここにおいて『選択』ということがあります。信仰を持って従うことは約束の地を受け継ぐことによる神様の約束の成就であることを意味します。立ち上って行動を起こすことをしないなら、神様や神様の約束を信頼していないことと同じです。これは不従順(ふじゅうじゅん)ということではるかに違った結果に終わるであろうということです。
あなたが100万人以上の人たちを連れて川を渡るよう任(まか)されていることを想像(そうぞう)できますか?その上あなたが連れている人たちは議論好(ぎろんず)きで指揮(しき)に反抗的(はんこうてき)なそのような人たちです。その上あなたはモーセのようなとても才能(さいのう)ある、個性的(こせいてき)な指導者の後を継(つ)いでいるのです。ヨシュアはある程度(ていど)の不適切(ふてきせつ)さとその責任(せきにん)に対する不安を感じざるをえなかったに違いありません。そして、いつもの如(ごと)く、これが神様がまさにこの時にヨシュアに何が必要かをご存知でいらっしゃる所なのです。
IV. 神様からのチャレンジ 6-9
⑩ヨシュア記1:6-9で神様はちょうどそのような時にヨシュアに心を注(そそ)がれ、触(ふ)れられたのです。神様はヨシュアの恐怖感(きょうふかん)に対して責(せ)めていらっしゃいません。ヨシュアが恐怖(きょうふ)に従って、不適切(ふてきせつ)であるという感情(かんじょう)によって動けなくならない限(かぎ)り、感情(かんじょう)はそんなに重要(じゅうよう)ではありません。それで、神様はヨシュアに自分の感情(かんじょう)にではなく神様の真実に信頼するようチャレンジされます。6節で神様はヨシュアに強くあれ、雄雄(おお)しくあれとおっしゃっています。これらの言葉は両方とも同じような意味です。『強くあれ』という表現(ひょうげん)は何かするための力強さ、何をも拒絶(きょぜつ)しない力という意味があります。『雄雄(おお)しくあれ』もまた、強さや力を持つという意味ですが、その強調(きょうちょう)する所は障害(しょうがい)を乗(の)り越(こ)えたり、堅実(けんじつ)に打ち勝つ力であります。これらは神様のヨシュアへの命令です。ヨシュアは無力さを感じていました。というのは彼は民を約束の地に連れて行くという不可能に思えることをすることになっていたからです。ここで神様はまず強くあるように命令することから始められました。ヨシュアはこの約束の成就(じょうじゅ)のため、力と雄雄しさと両方必要でした。
このような力をヨシュアはどこから得るのでしょうか?特別なドリンク剤(ざい)を飲むべきでしょうか?当時、リアルゴールドのような精力剤(せいりょくざい)があったのでしょうか?いいえ!!ヨシュアは神様のお言葉すべてに聞き従うよう心を砕(くだ)くことが必要だったのです。右にも左にもそれてはなりません。ということは神様のお言葉に従うことから少しでも離れてはいけないということなのです。しかし、お言葉に従うばかりでなく、⑪8節が述(の)べていますように彼の『口から離さず昼も夜もそれを口ずさむのです。』 同じメッセージを私たちに示している別の箇所をみるために詩篇1:1-3を読みましょう。⑫誰(だれ)と一緒に時間を過ごすのかが重要です。誰が私たちの決断(けつだん)に影響を及(およ)ぼしているのかが人生においての私たちの歩みを決定します。けれどももし私たちが御言葉を知り、そして、従うなら、私達は『水路のそばに植(う)わった木のように栄(さか)える』のです。
神様の御言葉を口ずさむとはどういう意味でしょうか?私たちの教会の牧師先生があるとき、「口ずさむ」の意味を教えてくださいました。彼は私たちに聞きました。「皆さんは心配(しんぱい)しますか?気になっていることを心の中で何度(なんど)も何度も思い返(かえ)します。」極端(きょくたん)なまでにそのことを考えます。神様の御言葉を口ずさむことと同じです。ただし、ストレスを感じない程度に!!ね!!私たちがこのことをするには御言葉を知っておく必要がありますね。私たちが一日中御言葉を思うことが出来るよう、私達は一日御言葉にとどまっているべきです。聖書の暗唱も又、有益(ゆうえき)です。もし、私たちが御言葉に従い私たちの口から御言葉がよどみなく出てくるのでしたら、私達はそれについて口ずさまなければなりません。
神様はヨシュアに数回くり返されている公式を与えておられます。⑬すなわち、『恐れるな、強くあれ、雄雄しくあれ、神様の御言葉について口ずさまなければならない。そして、神様のお言葉に従い、御業を見なさい。』この公式の中にチャレンジと約束があるなんて、なんとすばらしいことでしょう。皆さん、私と一緒に言ってください。『恐れるな、強くあれ、雄雄しくあれ、神様の御言葉について口ずさまなければならない。そして、神様のお言葉に従い、御業を見なさい。』
V. 神様からの励まし 7-9
ヨシュアが神様のお言葉に従うと、その結果はどうなるでしょうか?もし、ヨシュアが自分の恐怖心(きょうふしん)に従うことでなく、神様のお言葉を昼も夜も口ずさむことにより、神様の力と勇気(ゆうき)を求めることを選択するなら、⑭神様は『あなたのすることで繁栄(はんえい)し、又、栄えることが出来る』という約束を通してヨシュアに励ましを与えられます。『繁栄(はんえい)する』と『栄える』という2つの言葉は同じような意味です。両方とも計画(けいかく)された目標(もくひょう)を達成(たっせい)することを表(あらわ)しています。
今日、私たちの世界において『成功(せいこう)』を教える時、殆(ほとん)ど全くと言っていい程(ほど)私たちの受け取る給料(きゅうりょう)の額(がく)や会社での地位(ちい)、社会的地位に重点(じゅうてん)がおかれます。もし、よい学校に行けば、成功(せいこう)が約束されるでしょう。もし、子供にしっかり勉強することを強(し)いればよい大学に入り、成功するでしょう。そして、環境(かんきょう)のよい場所に住んでいい車に乗り、皆に自分の成功を見せることが出来ます。これらは悪い目標(もくひょう)ではないでしょう。人生における成功を求めることは必要なことです。しかし、もしこの成功が神様との親(した)しい歩みを犠牲(ぎせい)にしたものであるなら、まことの成功を得たとは言えません。⑮イエス様はマルコ8:36で『人は、たとい全世界を得ても命を損(そん)じたら、何の得(とく)がありましょうか?』と教えていらっしゃいます。又、⑯イエス様がマタイ6:33でおっしゃっておられるように『神の国とその儀とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられるのです。』もし、私たちが成功についてのこれらの真実(しんじつ)を教えるなら、多くのプレッシャーは取り除(のぞ)かれます。
ヨシュアのおかれている状況では、この成功(せいこう)は、成功が実現(じつげん)するのに必要なものを与えて下さる神様にひたすら依存しています。ここにおける私たちの成功は私たち自身に、より頼むのでなく御言葉を知り、それに従うことにあります。そうすることで神様は私たちに成功(せいこう)を与えてくださるのです。このような圧倒されるような状況にあるヨシュアにとってなんという励ましだったことでしょう。もし、私たちが信頼し、従うなら、勝利が神様から与えられるのです。⑰私たちがそのようにするなら9節にありますように、私たちへの約束は私たちの行く所どこにでも神様が共にいてくださるということです。神様を口ずさみ、信仰にあって神様に従う時、神様だけが下さる成功を私達は経験(けいけん)するでしょう。⑱『恐れるな、強くあれ、雄雄(おお)しくあれ、神様の御言葉について口ずさまなければならない。そして、神様のお言葉に従い、御業を見なさい。』
VI. 結論
成功のための公式は何でしょうか? この公式への鍵(かぎ)は何でしょうか?恐れないことですか?強く、雄々しくあることですか?確(たし)かにこれらは大切です。けれども、成功への鍵は御言葉を口ずさむことです。マスターライフの第三巻(かん)で手を用いた説明があります。⑲御言葉を心のうちに取り入れることを中心とする学びです。日々の生活に良い影響を与えるためです。6つの要素(ようそ)があるのですが今それを皆さんにお話したいと思います。
1. 聞く- 御言葉を最も単純(たんじゅん)に取り入れる方法です。殆(ほと)んどの人がこの方法で御言葉を取り入れる事ができます。
2. 考える- 御言葉を聞いてから考えることが出来ます。聖書が私たちの生活に影響されることは考えることの大切な部分です。
3. 読む-自分で御言葉を読み、生きていく中であなたにとってどういう意味をもつか考えます。ただ聞くより、より深く御言葉に入っていく助けとなります。
4. 調べる-より深く御言葉を学ぶことです。聖書の学びに参加するとより深く御言葉を分析(ぶんせき)して調べるよい助けとなります。
5. 覚える-御言葉を最も効果的(こうかてき)に取り入れる方法は覚えることです。これはいつもひと時も忘れないで御言葉について考える助けとなります。以上述べました4つのことと一緒に行いますと神様はあなたの人生に影響を与える整(ととの)えをされます。
6. 適用する-もし私たちが御言葉を受け入れて従わなければ、①から⑤のことは役に立ちません。それでもし成功への公式を本当に理解するためには6番までいかなければなりません。
丁度(ちょうど)2本の指(ゆび)だけで聖書を持てばたやすく聖書が取り去られるように今述べましたうちの2項目(こうもく)だけしか実行(じっこう)しなければ、御言葉はすり抜(ぬ)けていき私たちのうちにとどまらないでしょう。しかし6つ全部実行(じっこう)すれば私たちの信仰は強くされ誰も私たちから御言葉を取り去ることはできません。では、成功のための公式は何でしょうか?⑳『恐れるな、強くあれ、雄雄(おお)しくあれ、神様の御言葉について口ずさまなければならない。そして、神様のお言葉に従い、御業を見なさい。』そうすれば、霊的な成功が出来ます。アーメン。
祝福の祈り:1 Thes 5:23-24
