1 Timothy 1:18-20 Wage Good War

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1 Timothy 1:18-20 Wage Good War English follows Japanese おはようございます。今朝はまず質問をさせてください。あなたは、キリストに従う者でなけれ ば、あなたの人生はさぞや楽だろうと考えたことはありますか。クリスチャン生活を生きること は絶えず葛藤の連続で、罪の誘惑に堕ちる方が、発言しなければいけない時 黙っている方がどれ ほど簡単か考えたことがありますか。パオロは牧師であるテモテさえ時としてそのように感じる ことがあることを知っていました。パオロは彼のかなりのエネルギーと努力を必要としているほ ど深刻な誤りがある偽教師たちと立ち向かうためにエフェソにいるとテモテに話しました。パオ ロは彼自身のイエスとの出会いとキリストに従っている証によってテモテを励ましますが、テモ テが牧師としての召しに応える時落胆させるようなことが起こるのを知っています。パオロはテ モテが励まされ前進し降参せずに雄々しく戦いを勝ち取るよう、テモテへ 18-20 節を送ります。 まず、18-20 節を読みましょう。18 わたしの子テモテ、あなたについて以前預言されたことに 従って、この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい、 19 信仰と正し い良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。 20 そ の中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。わたしは、神を冒涜してはならないことを学 ばせるために、彼らをサタンに引き渡しました。 Letʼs pray. テモテが落胆させるようなこともある偽の教義と合い対する葛藤を含むミニストリーへの召しに 応え続けるよう励ますために、パオロはたとえ牧会が困難であっても継続できるようテモテを力 づけることができる 過去の預言を思い出させました。彼は 18 節で言います。18 わたしの子 テモテ、あなたについて以前預言されたことに従って、この命令を与えます。その預言に力づ けられ、雄々しく戦いなさい、 3 節でパオロはテモテが偽の教義を教えている者たちをやめさ せるよう命令するよう言われています。 この命令という言葉をパオロはテモテに対しても用い ています。実際には、パオロがテモテにこの命令を与えますと言っていることでした。 パオロ がテモテに伝える彼の声の調子を聞かなければなりません。彼は彼の子と呼んでいます。パオロ は彼自身の実の息子と話すように愛を持って、叱責したり、動転させるのではなく、彼を励ま し、彼に 神の御心に適った助言と知恵を与えることについて話しました。これが真の弟子訓練であり牧会 トレーニングです。 教会員の多くが考えることではありませんが、私は牧師として次の世代の牧師をどう訓練するか について関心を持っています。私はサウスイースタンバプテスト神学大学でのトレーニングに深 く感謝しています。私は神学校で受けたトレーニングをあまり評価しておらず、必要であるとも 思っていない牧師を知っていますが、そこで受けた神学修士または神学校水準のトレーニングは 私たちに神の御言葉を正確に教えそして理解させるために必要な道具を与えてくれます。また私 たちに私たちは全てを知っているわけではないことと私たちよりもはるかに賢い人たちがおり、 聖書の解説書やその他の書物から学ばなければいけないことを知る謙虚さを教えてくれます。し かし地域の教会での牧師訓練が最も重要であるもう一つの面は地域教会のために長老と牧師を訓 練するための指導面です。これはまさにパオロがテモテにしていたことです。ここ YIBC で、牧 会ミニストリーのための賜物を与えられていてその道で神に仕えたいと望む人たちが訓練を受け る場となることは私がいずれ見たいと思っていることです。地域教会である私たち YIBC は彼ら が牧師として、また長老として指導を受けることができる場所となるべきです。ですから、私は Chris Thomas が何回か説教をする機会を与えられることを望んでいたのです。そして私は 20 代前半の時、年配でミニストリー経験の豊富な牧師が説教のチャンスを与えてくれ、ミニストリ ーの効果を上げる方法を指導してくれたことを感謝しています。それが功をそうしたかどうかは 議論の余地があります。地域教会は若い牧師達が牧師としての学びのための実地訓練ができる場 所であるべきです。はじめの頃のベスと私の子供のための AWANA のようなプログラムや、そ の後のボランティアの青年部のリーダー、そして最終的に地域教会の有給のユース・パスターと しての機会がなければ、いくつかの異なった背景で少ない会衆の牧師として仕え、日本と YIBC への道を開いた海軍従軍牧師になれなかったでしょう。私たちの教会開拓のビジョンはこの日本 で訓練している牧師たちに指導を受ける機会を提供し、私が健康であり神の栄光を現している教 会で働き実践することによって学ぶことを含みます。日本には教会開拓を目指す人たちが牧師に なるトレーニングを受けるための名古屋のキリスト聖書神学校やその他の良い神学校がありま す。私たちは彼らのための訓練の場になることができます。そのために、彼らを派遣し、サポー トすることができます。この聖句のテーマではありませんが、テモテへの手紙一の書簡全体を通 して牧師訓練の機会の必要性を知る助けとなります。パオロはここでテモテについて語られた過 去の預言について語っています。それらはテモテの神の僕としての可能性、テモテの牧師として 神に献身的に仕える僕としての将来を語る聖霊の預言の言葉でさえあったかもしれません。これ は実際牧師訓練のもうひとつの面です。教会は可能性を示す若い人を探し、彼らに長老や牧師の ミニストリーに進むよう励ますことさえすべきです。テモテへの手紙二 2 章 2 節でこう言ってい ます。 2 そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることの できる忠実な人たちにゆだねなさい。 これらの預言の言葉は彼の可能性を認知して彼にこの聖句のパオロの言葉の主要な点である雄々 しく戦うことができるように力づけるのです。18 節はこう締めくくっています。その預言に力 づけられ、雄々しく戦いなさい、パオロが彼に教会内の誤りに立ち向かうよう召したことを思い 出してください。パオロは先にあるミニストリーが霊的戦いであり心地よい静養期間ではないこ とを知っていました。私たちが真理を守り、教会としてイエスに従う者として生きることを求め る時、それは常に霊的戦い、霊的戦争です。テモテが彼についての預言で語られたことを覚える ことは彼が戦いを続ける中決心が弱まる時の力となるでしょう。 パオロはよく霊的生活を戦いと呼びます。今年の終盤に学ぶテモテの手紙一 6 章 12 節で彼はこ う言ってまるでボクシングの試合にたとえているようです。12 信仰の戦いを立派に戦い抜き、 永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派 に信仰を表明したのです。パオロが雄々しく戦えと言うことの意味を理解する必要があります。 戦争が良いか悪いかを判断するのにたくさんの見方があります。神学校の道徳クラスで正戦論の 古典的な定義を話し合い、何が道徳的に、私たちには聖書的に、戦争の理由として容認できるか 議論しました。海軍の従軍牧師として、私たちは武力戦争において殺人兵器の道徳的妥当性につ いて多くのトレーニングと議論を持ちました。戦争勃発後の正戦論と いつ道徳的に正しい根拠が 敵に対する不道徳的行為によってその 優位さを失うかについてです。私が海兵隊総軍司令部とス タッフ大学に在籍した時、先の二つの戦争の局面だけではなく、火器でどのよう敵を圧倒する か、戦場でどのように敵を打ち負かすかの戦略についても学びました。ですから、それぞれの状 況は戦争の善し悪しを異なった視点から示しています。 パオロはここで雄々しく戦いなさい、の意味を示しています。19 節で続けます。 19 信仰と正 しい良心とを持って。 彼の二つの教えを見てパオロの雄々しく戦いなさいの意味がわかります。雄々しく戦いなさいの 意味は、ひとつ、福音の真理をしっかりと持ち続ける。二つ、非難される所のない生き方をす る。信仰を抱くとは私たちの信心と命を形作るものつまり福音を中心にしっかりと抱くことで す。これはパオロがテモテに偽の教師に立ち向かう時も守るよう指示していることです。偽の教 えは実際私たちの信仰の中核を攻撃することによって、私たちの救い主イエス・キリストの信仰 が私たちの創造主である神との関係の修復の唯一の道であるという真理を弱体化させ取り去ろう としているのです。コリントの教会への最初の書簡でパオロは、はっきりと福音が私たちを支え 守り、私たちはこの中核の真理を抱き続けその真理の知識の上にしっかりと立つ力を見つけるべ きと言っています。 コリントの信徒への手紙一 15 章 1-3 節 1 兄弟たち、わたしがあなたが たに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活 のよりどころとしている福音にほかなりません。 2 どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせた か、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなた がたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 3 最も大切なこととしてわたしがあ なたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある とおりわたしたちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三 日目に復活したこと、 福音のメッセージ全体と私たちの信仰の基礎は 3 と 4 節にあります。そこにたどり着く前に彼は 1 節でこう言います。私たちはその聖句の真理に私たちが立つべき礎を、安寧を見つけます。私 たちの救い、しかし、パオロがコリント一で語っていることを見てください。どんな言葉でわた しが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、聖書は私たちが聖者の忍耐と呼ぶ教義を教 えています。真に救われた者はその救いを失うことは決してありません。Billy Graham crusade や日曜学校で 決心をしたからではなく、真のイエス・キリストの信仰によってキリストへの忠誠 を証明する生き方の変化と終生の信仰が起こるからです。私たちの信仰は時として弱まります。 試されることもありますが真の信仰は私たちの生涯を通して十分全うできます。私たちは忍耐 し、最後まで前進し続け、永遠の命を痛みや信仰の弱さなくとこしえを過ごします。忍耐の教義 のよりよく用いられる永遠の安寧の実際の定義です。 福音を通して私たちは生涯において安心を得ると伝えた後、パオロは福音をコリントの人たちに 明らかにしました。福音とはイエスが私たちのために死んで復活されたことです。とても単純に 聞こえますが、そこには測り知れない真理、恵み、憐れみと愛が組み込まれています。福音は私 たち全員が罪人であり罪と不従順によって神から離れてしまったことを言明しています。福音 は、ローマ書 3 章 23 節の真理を宣言しているのです。23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受け られなくなっています、 罪とは神の栄光を現せないこと、私たち全員が生まれそしてイエス・キリストとの関係がなけれ ば受ける罰です。イエスこそが良い知らせの、救いの福音の中心です。パオロが指摘するように 福音は私たちの罪のためにイエス・キリストが死に、復活されたことです。 良い知らせとはなんでしょうか。ペテロの手紙一 3 章 18 節 でこう言います。18 キリストも、 罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたので す。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では 生きる者とされたのです。 それらの罪は罰せられるべきです。そして、完璧な罪のない正しい方でした。私たちの罪のため に死なれました。正しい方が、正しくない者たちのために‒ . 誰でもイエスが彼らのために死ん だと信じれば、つまり、キリストに信仰をおき、救い主として受け入れれば救いが与えられ神の 罰から逃れることができます。信じない者は神の罰に向き合わなければなりません。ヨハネ 3 章 36 節 36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることが ないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。 パオロがコリントの信徒への手紙で復活を福音の一部に含めたことに注目してください。私たち のキリストのうちの新しい命は救い主がもうすでに死を克服され、彼が生きている復活のあとの 人間としての存在の制限から解放された命を私たちも永遠に預かることが可能なのです。 しかし、パオロは雄々しく戦う二番目の局面である恥じることのない良心を載せています。テト ス 1 章でパオロはテトスが長老を選ぶために彼をクレタに残したことを伝え 6 節から牧師や長老 のあるべき特徴を載せています。一番目は非難される点がないことです。テトス 1 章 6 節 6 長 老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責め られたり、不従順であったりしてはなりません。 恥じることのない良心とはこのことです。私たちに対して誰一人として非難することがないこと です。公にもプライベートにも私たちの生き方は罪がなく、キリストの信仰の主張と見合わなけ ればなりません。私たちは完璧には決してなれませんが、私たちが雄々しく戦っているならその 相手は罪のはずです。まだお分かりでなければ私たちの戦いは霊的な戦いです。数週間前に偽の 教えが最終的に罪を受け入れることにつながると言うことを覚えていますか。ですから、私たち が福音に誠実であれば、福音によって生きることになり罪とサタンの私たちを躓かせる試みに対 して霊的に戦います。 エフェソ書 6 章を思い出せばパオロは私たちが参加している霊的戦いについて語り、神の武具を 纏い罪と誘惑と戦っているのです。エフェソの信徒への手紙 6 章 11-13 節 11 悪魔の策略に対 抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 12 わたしたちの戦いは、血肉 を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にす るものなのです。 13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つ ことができるように、神の武具を身に着けなさい。 良心に恥じることなく生きるにはこのように神の武具をつけ、神の御言葉で心が満たされている ことです。神の武具の最終局面はパオロがエフェソ書 6 章 17 節で話している唯一の攻撃的兵器 です。 17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 私たちは御言葉の人であるべきで、聖書が私たちの礎でなければ雄々しく霊的に戦うことはでき ません。サウスウェスタン神学大学で長年にわたり教授職につかれていたトーマス・リー先生は この聖句を見事に要約されています。19 節のパオロの訴えは正しい信心のみでは神の栄光を現す クリスチャン生活の保証にはならないと言うことです。クリスチャンそれぞれが正しいキリスト の理解、つまり誠実な信仰の守りとそれにふさわしい応答つまり良心に恥じない生き方とを組み 合わせるべきです。私たちの信仰は偽善的な言葉だけではなく良い働きを産み出すべきです。 パオロが強調しているのは霊的戦いの重大さです。私たちはどれほど疲労困憊、うんざりしたと しても偽の教師の過ちのために福音の真理がかかっているからです。彼はこの命令を拒否しない よう警告を与えます。. 19-20 節の終わりにこう書かれています。ある人々は正しい良心を捨 て、その信仰は挫折してしまいました。 20 その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいま す。わたしは、神を冒涜してはならないことを学ばせるために、彼らをサタンに引き渡しまし た。ヒメナイとアレクサンドロと言う二人の情報は多くありません。しかし偽教師について書か れている文脈から彼らが福音を拒否した者であることは確実です。先に述べた道徳的な善を拒否 して罪を受け入れているのです。パオロがヒメナイをテモテの手紙二でも名指ししていることは わかっています。そこでは、彼の福音に対する具体的な偽の教えの例が見ることができます。テ モテ二 2 章 16-18 節 16 俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心 になっていき、 17 その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィ レトがいます。 18 彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信 仰を覆しています。彼らの異説は信者の死からの復活に関係がある何かです。聖書はいつの日か キリストのうちに死ぬ者は新しい体を与えられ復活して永遠の命を与ると言っています。すでに 復活が起こったのであれば死後の永遠の命は否定することになります。私たちがこの地上でする ことは何も意味を持たず、事実上福音とキリスト教を否定しています。全ての詳細はわかりませ んが。これが唯一の解釈です。 要するに、イエス・キリストと真の福音にしっかりと根付いた信仰から離れることはもうすでに 真の信仰を持っていないことになります。私たちの信仰がどこに導いていたとしても、今はキリ ストから離れていっています。パオロの船の描写を用いるなら私たちは船を破壊する岩礁に向か っているのです。意味するところ彼らは最初からイエス・キリストの真の信仰を体験していなか ったのです。これがヘブライの信徒への手紙 6 章 4-6 節で語られていることです。 4 一度光に 照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、 5 神のすばらしい言葉と来る べき世の力とを体験しながら、 6 その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせ ることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。 私はユースパスターとして働きティーンエージャーや大人でも繰り返しこのような結果を見てき ました。その多くは、現在イエス・キリストに関するもの全てを拒否しています。いまだにキリ ストを信じているという人たちも彼らの生き方、壊れた人間関係、不信心な誤った選択や行動、 教会と一切関わらないことが彼らの信仰に関する主張を否定しています。パオロが福音を拒絶す る者、福音を歪める者はサタンに手渡すという答えを出しています。このメッセージの意味は未 信者のように扱うという意味でしょう。彼らを神の子、教会の体として考えず、サタンの子であ り、イエス・キリストを受け入れていない世の全ての人と同じと考えるべきです。これは極端な 結果で教会懲戒の最後の段階です。あからさまに聖書の真理と教えを否定し、罪を受け入れるよ う変わってしまった生き方をする者に対して教会は行動を起こさなければなりません。マタイ書 18 章は罪を犯すものはまず一対一に個人的に臨み、次に証人を同伴します。 そして、その後も 悔い改めず罪を受け入れる時は教会に申し出ます。 パオロはここでもそのほかの場所でも悔い改めない者は教会から除名すると言っています。 これは極端な例です。ヒメナイとアレクサンドロの例でも、パオロはテモテと私たちに福音の真 理を守り福音の真理を生きるよう雄々しく霊的戦いを続けるよう警告しています。神聖さの追求 と福音を守るために立ち続ける中諦めたくなる時もあるでしょう。しかし、あなたが守るその福 音のうちに力をみつけるでしょう。霊的戦いはあなたの力ではなくイエス・キリストの力によっ て戦うのです。私たちは私たち自身と教会を罪から守り、イエスの栄光を現し、私たちがなぜこ こにいるのか、誰に仕えているのかをより知ろうとして世の周りの人たちが引き寄せられるよう 戦います。Letʼs pray. Good morning. I want to ask you a question this morning. Do you ever think that maybe your life would just be easier without being a follower of Christ? That it feels like a constant struggle to live the Christian life and it would be easier to just give into temptation to sin, to just keep quiet when we know we should speak? Paul knew that even Timothy as a pastor would feel that way sometimes. Paul has just told him that he was there in Ephesus to confront false teachers, that the error was serious enough that it would require much energy and effort on his part. And although Paul encourages him with his own testimony of meeting and following Christ, he knows that there will be discouragement that will come as Timothy fulfills his calling as a Pastor. To encourage him to keep going and not give up, he writes verse 18-20 to Timothy as a warning to continue to Wage Good War. Letʼs read verses 18-20 as we begin today. This charge I entrust to you, Timothy, my child, in accordance with the prophecies previously made about you, that by them you may wage the good warfare, 19 holding faith and a good conscience. By rejecting this, some have made shipwreck of their faith, 20 among whom are Hymenaeus and Alexander, whom I have handed over to Satan that they may learn not to blaspheme. Letʼs pray. In order to encourage Timothy to keep going in this call to ministry that would include conflict related to confronting false doctrine, and could be discouraging, Paul reminds Timothy of past prophecy that would strengthen him to keep going even when the pastoral ministry was difficult. He says in verse 18, 18 This charge I entrust to you, Timothy, my child, in accordance with the prophecies previously made about you… In verse 3 Paul told Timothy he was to “charge” those teaching false teaching to stop that teaching. We said about that word that it should be translated strongly as command, and this is the same word that we now see Paul using towards Timothy as he basically says, “I am giving you this command.” Again, as Paul addresses Timothy, we have to hear his tone in this. He calls him his child. Paul is talking as he would to his own biological son, in a loving way that is not reproving him or upset in any way, but encouraging him and sharing with him Godly advice and wisdom. This is true discipleship and pastoral training. Its probably not something that most church members think about often, but as a pastor, I am concerned with how we train the next generation of pastors. I am extremely grateful for my training at Southeastern Baptist Theological Seminary. I know pastors who do not appreciate the training they received in Seminary or even think its very necessary; but that academic knowledge that we receive at Seminary level training in a Master of Divinity or Theology program gives the tools we need for accurate teaching and understanding of Godʼs Word. It also teaches us the humility we need to know that we do not know everything, and there are people much smarter than us that we need to learn from by way of Bible helps like Commentaries and other books. But there is another aspect of training pastors where the local church is most important, and that is the mentoring aspects of training elders and pastors for the local church. This is what Paul was doing with Timothy. Its what I want to see happen here at YIBC, where we see men who are gifted for pastoral ministry and have a desire to serve in that way. The local church…our church, YIBC…should be a place where they can be mentored for pastoring or serving as elders in a local church. Its why I wanted Chris Thomas to have several chances to preach. Its why I appreciate the times older Pastors, far more experienced in ministry than me in my early 20ʼs gave me opportunities to preach and mentored me on how to be effective in ministry. Whether they were successful might be debatable! But the local church should be the place where pastors are given the hands on opportunity to learn to be a pastor. If it had not been early ministry opportunities for Beth and I in childrenʼs programs like AWANA, later opportunities to serve as volunteer youth director and finally paid youth pastor in a local church, I would not have been prepared to be a Navy Chaplain, where I had the opportunity to pastor smaller congregations in several diverse settings, and be introduced to Japan and YIBC. Our vision of planting churches should include providing mentoring opportunities to pastors who are in training here in Japan, to work in what I believe is a healthy and God honoring church and learn by doing. There are good Seminaries like Christ Bible Seminary in Nagoya and others in Japan with men training to be pastors who desire to plant churches, and we can be a place for training, then sending and supporting them in that effort. I know that this is really not the point of this passage, but I think the entire book of 1 Timothy can help us to see the need of this sort of opportunity to train pastors. Paul is talking here about past prophecies made about Timothy. These were probably words that were spoken about his potential promise as a servant of God, or possibly even some Holy Spirit given prophetic words that told of Timothyʼs future as a pastor and dedicated servant of God. This is actually another aspect of training pastors, that churches should look for young men who demonstrate that potential and even encourage them towards elder/pastor ministry. That is what 2 Timothy 2:2 is saying when it says, “and what you have heard from me in the presence of many witnesses entrust to faithful men, who will be able to teach others also.” These words of prophecy that recognized his potential also provide him strength to carry out the primary point of Paulʼs words in these verses, which is to wage good war! The end of verse 18 says, “…that by them you may wage the good warfare…” Remember that Paul is calling him to confront error in the church and Paul knew that the ministry ahead would be a spiritual battle not a pleasant retreat. Anytime we are defending the truth and seeking to live as the church and as followers of Christ in the way that God commands, it will be a spiritual battle, a spiritual war. Remembering the prophecies spoken about him earlier in his life could give Timothy strength to continue to do battle when his resolve was gone. Paul often refers to the spiritual life in terms of a war or a battle. In 1 Timothy 6:12 that we will come to later this year he compares it to a fight that is probably closer to a boxing match when he says, “Fight the good fight of the faith. Take hold of the eternal life to which you were called and about which you made the good confession in the presence of many witnesses.” We need to understand what Paul means when he says we are to wage good war. There are a lot of ways to look at whether war is good or bad. In Seminary ethics classes we discussed the classic definitions of Just War theory and what were morally (and Biblically for us) acceptable reasons for War. As a Navy Chaplains, we had lots of training and discussions regarding the moral applications of lethal force in armed conflict. In other words, Just War theory after war has begun, and when does even a morally right cause lose the moral high ground by immoral actions towards an enemy. And when I attended Marine Corps Command and Staff College, we studied not only the previous two aspects of war, but also how best to overwhelm the enemy with fire and maneuver in order to defeat an enemy on the battlefield. So each of those situations presents a good or bad war from a somewhat different perspective. Paul here presents what he means by war the good warfare as he continues in verse 19 holding faith and a good conscience. We see what Paul means by waging good warfare in these two instructions he gives. To wage good war means One, to Hold to the truth of the Gospel, and Two. to Live a blameless life. Holding faith is very simply holding to the core of what forms our beliefs and shapes our lives which is the gospel. This is what Paul is instructing Timothy to protect by confronting false teachers. What false teaching is really attacking is the core of our faith as it undermines and takes away from the truth that faith in Jesus Christ as our Savior is the only way to a relationship with God our creator. In his first letter to the Corinthian church, Paul clearly says that it is the gospel that will uphold us and we should hold these core truths and find strength to stand in the knowledge of that truth. 1 Corinthians 15:1-4 says, “Now I would remind you, brothers, of the gospel I preached to you, which you received, in which you stand, 2 and by which you are being saved, if you hold fast to the word I preached to you̶unless you believed in vain. 3 For I delivered to you as of first importance what I also received: that Christ died for our sins in accordance with the Scriptures 4 that he was buried, that he was raised on the third day in accordance with the Scriptures.” The entire message of the gospel and the foundation of our faith is contained in verses 3 and 4; and before he gets there, he says in verse 1, it is the truth of those verses that we find our security in…that we stand in. It is what saves us, but notice that he says in 1 Corinthians “if you hold fast to the word I preached to you.” The Bible teaches the doctrine we call perseverance of the saints. Those who are truly saved cannot be unsaved, but not because of a decision they made at a Billy Graham crusade or in a Sunday School class, but because of a real faith in Jesus Christ that results in life change that proves their allegiance to Christ and results in a lifetime of faith. Our faith may grow weak at points, and it will be tested, but true faith will see us throughout our lives. We will persevere, keep on going, until the end and we spend an eternal life free of pain and weak faith for all of eternity. This is what the more popular statement of the doctrine of perseverance ‒ eternal security ‒ really means. After telling us that the gospel is where we gain security in our lives, Paul then defines the gospel for the Corinthians. The gospel is the good news that Jesus died and rose again for our sin. Now that may sound simple, but it incorporates so much truth, so much grace, so much mercy and love. It declares the truth that we are all sinners who are separated from God by that sin and failure to obey him. In fewer words, it is declaring the truth of Romans 3:23, “for all have sinned and fall short of the glory of God.” Sin is a failure to glorify God, and it is how all of us are born and live our lives apart from a relationship with Jesus Christ. And it is Jesus Christ who is the focus of the good news, the gospel of salvation. Because as Paul points out the good news is that Jesus Christ died and rose for our sin. And how is that good news? 1 Peter 3:18 says, “For Christ also suffered once for sins, the righteous for the unrighteous, that he might bring us to God, being put to death in the flesh but made alive in the spirit.” Those sins had to be punished and Jesus Christ, who lived a perfectly sinless life ‒ he was righteous - , died for those sins in our place ‒ the righteous for the unrighteous. Anyone who believes that Jesus died for them ‒ in other words has faith in Christ and accepts him as their Savior ‒ that person is given salvation and escapes Godʼs punishment. Anyone who does not believe faces Godʼs punishment. John 3:36 says, “Whoever believes in the Son (Jesus Christ) has eternal life; whoever does not obey the Son shall not see life, but the wrath of God remains on him. Notice that in Corinthians Paul includes the resurrection as part of the gospel. Our new life in Christ is possible because our Savior has already conquered death and the life he enjoyed after the grave and now free from the weak restraints of human existence can be ours in eternity as well. But Paul lists a second aspect of waging good war and that is a good conscience. In Titus 1, Paul tells Titus that he had left him in Crete to appoint elders, and then starting in verse 6, he lists characteristics that should be found in these pastors or elders. The first one he lists is being blameless. He says in Titus 1:6, “If anyone is above reproach...” This is what is meant by having a good conscience. No one can hold anything against us. Our lives publicly and privately are free from sin and match our claim to faith in Christ. We will never be perfect, but if we are waging war then it will be primarily against sin. If it has not been clear by now, we are talking about spiritual warfare. Remember from a couple weeks ago that false teaching ultimately leads to acceptance of sin, so if we are holding true to the gospel, then it will result in gospel living as well that wages spiritual battle against sin and Satanʼs attempts to get us to fall. If you recall in Ephesians 6, Paul talks about this spiritual war that we are in, and the armor of God that we use to fight sin and temptation. Ephesians 6:11-13 says, “Put on the whole armor of God, that you may be able to stand against the schemes of the devil. 12 For we do not wrestle against flesh and blood, but against the rulers, against the authorities, against the cosmic powers over this present darkness, against the spiritual forces of evil in the heavenly places. 13 Therefore take up the whole armor of God, that you may be able to withstand in the evil day, and having done all, to stand firm. This is how we maintain a good conscience, by putting on the whole armor of God, and staying saturated in Godʼs Word. The final aspect of the armor of God is our only offensive weapon that that Paul talks about in Ephesians 6:17, “and take… the sword of the Spirit, which is the word of God.” We must be people of the Word, with the Bible as our foundation in order to wage good spiritual war.Dr. Thomas Lea, longtime professor of theology at Southwestern Seminary summarizes this verse well when he says of verse 19, that “Paulʼs appeal reminds us that correct belief alone [Thatʼs holding faith] does not guarantee a useful Christian life. Each Christian must combine a right understanding of Christ with a proper response to that understanding [Thatʼs a good conscience]. Our faith must produce good works, not pious platitudes. Paul wants to drive home the seriousness of this spiritual warfare, that we must wage it, no matter how weary we get, because the truth of the gospel is at stake with the error of false teachers. So, he gives a warning about rejecting this instruction. The end of verse 19-20 says, “By rejecting this, some have made shipwreck of their faith, 20 among whom are Hymenaeus and Alexander, whom I have handed over to Satan that they may learn not to blaspheme.” We donʼt have many details about these two Hymenaeus and Alexander, but given the context of false teachers in this passage, we can be certain that these two were ones who had rejected the truth of the gospel, which as we talked about earlier led to the ultimate rejection of moral good and the acceptance of sin. We do know that Hymenaeus was called out by Paul in 2 Timothy as well, and there we do see a specific false teaching that goes against the gospel that he was teaching. 2 Timothy 2:16-18 says, “But avoid irreverent babble, for it will lead people into more and more ungodliness, 17 and their talk will spread like gangrene. Among them are Hymenaeus and Philetus, 18 who have swerved from the truth, saying that the resurrection has already happened.” Their heresy they were teaching seemed to be something related to the resurrection of believers from the dead. The Bible teaches that one day all of those who die in Christ will be resurrected to eternal life with new bodies. If the resurrection has already happened then it could mean they were denying any eternal life after death, and that nothing that we do on earth matters, effectively denying the gospel and Christianity itself. This is only one possible interpretation, though, and we really do not know for sure all the details. The bottom line is that when we move away from having our faith solidly fixed on Jesus Christ and the true gospel, then we no longer have true faith. And wherever our faith was leading, we are now moving away from Christ and to use Paulʼs ship illustration, moving us toward a rocky shore where our ship will be destroyed. This most likely means that they never experienced real faith in Jesus Christ in the first place. This is the situation that Hebrews 6:4-6 is talking about when it says, “For it is impossible, in the case of those who have once been enlightened, who have tasted the heavenly gift, and have shared in the Holy Spirit, 5 and have tasted the goodness of the word of God and the powers of the age to come, 6 and then have fallen away, to restore them again to repentance, since they are crucifying once again the Son of God to their own harm and holding him up to contempt.” I have seen this over and over again with teenagers and adults I worked with as a youth pastor. Many of them now reject anything about Jesus Christ, and while some still claim Christ, their lives, broken relationships, ungodly choices and behaviors, and uninvolvement with the church give a very different message. The answer that Paul gives to those who reject the gospel or twist the gospel is to turn them over to Satan. The most likely meaning of this phrase is that these men were to be treated as non-believers. They should not be considered one of Godʼs children, part of the church; but a child of Satan and part of the world with everyone else who has not accepted Jesus Christ. This is the extreme result and last step of church discipline. When someone is openly rejecting Biblical truth and teaching, and their lives follow their changed beliefs to accept sin, then the church must act. Matthew 18 tells us that you need to approach the one in sin individually, then with witnesses and if that person still accepts sin with no repentance then you take it before the church, and Paul makes it clear here and in other places that the church should remove the unrepentant sinner. This is the extreme, though. The example of Hymenaeus and Alexander is a warning to Timothy and to us to continue to wage spiritual warfare to protect the truth of the gospel and to live the truth of the gospel. There will be plenty of times that you want to give up in pursuit of holiness and taking a stand for the gospel, but we can find strength for those times in that same gospel that we seek to defend and protect. And it is in this truth, that we fight the spiritual battles in the strength of Jesus Christ and not our own. We fight to protect ourselves from sin and our church from sin so that Christ is glorified and the world around us is drawn to know more about why we are here and who we serve. Letʼs pray.
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